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奈良・マルコ山古墳は六角形墳
1 名前:名無しさん 2004/12/05 23:52 ID:/l5ygP0e
奈良・マルコ山古墳は六角形墳 天皇に近い有力者の墓か
墳丘が六角形とわかったマルコ山古墳の発掘現場。作業員の指しているところが西側の角。右側は墳丘を囲んでいた石敷き=奈良県明日香村で
墳丘が六角形とわかったマルコ山古墳の発掘現場。作業員の指しているところが西側の角。右側は墳丘を囲んでいた石敷き=奈良県明日香村で

 奈良県明日香村のマルコ山古墳(7世紀末〜8世紀初め、国史跡)の墳丘は1辺約12メートルの六角形だったと同村教委が5日発表した。これまでは円墳とみられていた。六角形墳が見つかったのは全国3例目で、天皇陵が集中する飛鳥地域では初めて。八角形墳は天皇か皇太子級の墓とされ、同村教委は「六角形墳にすることで天皇に近い存在であることを示したのではないか。円墳の高松塚、キトラ両古墳より格上の被葬者だった」とみている。

 マルコ山古墳は、77年の墳丘北側の発掘で円墳と判断された。今回は西側の民家が立ち退いた跡地約54平方メートルを発掘し、墳丘を取り囲む石敷きなどが出土。墳丘と石敷きの境が直線で、約140度折れ曲がっている角があることが判明した。77年の調査資料を再検討したところ、北側でも角を確認できた。未発掘の東側や南側についても推定すると、やや膨らみを帯びた六角形になることがわかった。

 六角形墳は兵庫県安富町の塩野六角古墳(7世紀中ごろ)、岡山市の奥池3号墳(同)の例がある。いずれも1辺約4メートルと小規模で、当時の畿内の政権とは直接かかわりはないとされる。

 マルコ山古墳は飛鳥地域を一望する丘陵の斜面を削って築造された。高松塚、キトラ両古墳と時期は近いが、壁画は描かれていなかった。出土した人骨の分析から被葬者は30代の男性とみられている。

 前園実知雄・奈良芸術短大教授(考古学)は被葬者について、691年に30代前半で亡くなった天智天皇の川島皇子が有力とみる。「八角形墳は天皇か皇太子に限定され、六角形墳はこれに近い格式だろう。万葉集には、川島皇子をマルコ山近くの越智野(おちの)へ葬送する歌があり、人骨鑑定とも年齢が一致する」と話している。

(12/05 20:46)


2 名前:名無しさん 2004/12/06 00:48 ID:1oEzRKTE
マルコ山古墳は六角形墳、飛鳥地域で初…皇子の墓か

 奈良県明日香村のマルコ山古墳(7世紀末―8世紀初め)が六角形墳であることが判明したと、同村教委が5日、発表した。

 六角形墳は全国でわずかに数基知られているだけで、飛鳥時代の皇族や貴族の墓が集中する飛鳥地域で確認されたのは初めて。

 当時、天皇や皇太子は八角形墳に葬られており、それに次ぐ地位の皇子の墓とみられ、被葬者の絞り込みにつながると期待されている。

 同古墳はこれまで円墳とみられていた。上下2段の墳丘のうち、下段の西側を発掘したところ、内角約140度のコーナーと外縁が出土した。1977年にも下部北側に角張った部分が見つかっており、下段は最長の対角線が約24メートルの東西に長い六角形とわかった。上段も同形と推測されるという。

 古代中国の思想・道教で、八角形は宇宙を表し、六角形はこれに準じて世界を示す。この思想に基づき、中国の皇帝は八角形、皇太子や諸侯は六角形の建物を造営したとされる。

 日本でも飛鳥時代後半(7世紀後半)の天智陵(京都市)、天武・持統合葬陵(明日香村)などの天皇陵は八角形墳で、中国の思想の影響を色濃く受けていると考えられているが、飛鳥地域で六角形墳は見つかっていなかった。

 マルコ山古墳の被葬者はこれまで、規模や立地から天智天皇の川島皇子(657―691年)や、天武天皇の弓削皇子(ゆげのみこ)(?―699年)らが想定されてきたが、その可能性がさらに高くなった。

 千田稔・国際日本文化研究センター教授(歴史地理学)の話「中国思想が皇族の墳墓形式に影響を与えたことは十分、考えられる。外形から被葬者を絞り込めれば、キトラ古墳などの被葬者の解明にもつながるだろう」
(読売新聞) - 12月5日21時7分更新


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